忍者ブログ
映画の徒然メモ。他サイトでのログを移植中
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

※申し訳ありませんが大いに貶します。面白かった!最高!という方は読まない方がよろしいかと。

見る前から懸念していたことが、これ以上はないほど最悪に当たってしまった。こんな予感当たって欲しくなかった!と愕然とする○○映画。○○にはお好きな悪口雑言を入れて下さい。
矛盾するようだけど、映画としてそこまで悪かったと言ってるわけじゃない。無難にストーリーは進み、無難に山があり、無難に面白かった。それを懸念してた。X-MENというアメコミキャラクターに思い入れがない人や、映画のみ気軽に楽しんでいた人はこれで良かったんだと思う。だから、この貶しは無駄に思い入れがあるオタクの戯言と思ってもらって構わない。構わない、のだけれど。

ブレット・ラトナーはオタク的に思い入れが深くなる映画の監督はすべきじゃないと思うよ。

あらすじ>>>
プロフェッサーXの右腕だったジーンの死による動揺から立ち直れずにいたX-MEN。そんな中、天才科学者によって、ミュータントの能力を消し、普通の人間にすることのできる新薬“キュア”が開発される。ミュータントのまま生きるか、人間になるかという究極の選択に大きく揺れるミュータント社会。マグニート率いるブラザーフッドはキュアの根絶を狙い、X-MENは人類とミュータントの全面戦争を回避しようと奔走するが…。

[オススメするタイプ]
・気軽に楽しみたい
・映画でしかX-MENを知らない
・サイクに勝ち目はないだろあの三角関係

[オススメできんタイプ]
サイクファン
・原作キャラに思い入れがある
・『レッド・ドラゴン』がちょっと物足りなかった


つまりはブレット・ラトナーが、無難に手堅くまとめてしまうからこその不満なのだ。『レッド・ドラゴン』でもそうだった。あの美しき畸形であるレクター博士を、普通にまとめすぎた。それでいい―――そうであるべき映画もたくさんあるのだから、今後彼にはオタク的精神を必要とするものは撮って欲しくない。この作品が好きだ!このシーンが見たいんだ!このキャラを愛しているんだ!!という精神抜きで手堅く撮られたキャラ映画なんて観ていてつまらない。(愛情が空回りするパターンもありますが)だからこそ、監督候補が入れ替わったことは『スーパーマン・リターンズ』のためには良かった。この映画にとっては不運だった。そう、思ってしまう。
つまりはあれだ、『エイリアン』シリーズとか万が一撮ったら普通に面白いだけになっちゃってファンが腑に落ちない、そんなタイプ。あれもまた一種のオタクが撮るべきシリーズ。
少なくとも監督は、キャラクターに思い入れという愛は抱いていないんじゃないか。だからこそこんな風に撮れるんじゃないのか。ああブライアンが監督していれば…!そう思わずにはいられない。

普通のオリジナル映画として観れば、本当に「普通」に面白かった。だからこそ無駄に死んでいくキャラクター、せっかく出てきたのに見せ場も何も無いキャラクター…使い捨てにされるキャラクターのオンパレード。前作2作でブライアンがやって来たことは何だったんだよ、と言いたくもなる。人間VSミュータントの対立を、マジョリティーVSマイノリティーに移し変えて見せてくれたブライアンだったら、「異常(多数派が異常だと思っていること)を治せる薬」という、これ以上は無いほどの皮肉なアイコンが出現するストーリーをもっともっと深みのあるものにしてくれただろうに!
前作2作で造り上げられたキャラクター造形はどれもこれも台無しだ。スコットは単なる女々しく矮小な皮肉屋、プロフェッサーはあっさりそんな彼を見捨てるうすっぺらい長、ストームは無駄に出番が増えただけで何の深みも仲間への友情もなし、サイクが象徴すべき良き部分をすべて引き継いでころっと常識派になってしまうローガン。これでいったい何を期待しろというのか。主要キャラクター(の筈だよね?と皮肉も言いたくなってしまうぞ)の二人を殺してしまうのは、単に[ジーンに対する影響力を持つ二人]が[ローガンとジーンの恋]に邪魔だったから。つまりはすべて[ローガンとジーン]のためだけに設定された、ご都合主義もいいところのストーリーなのだ。そんなもん面白い筈が無い。

新しく出てきたキャラクターも使い捨て。そもそもジャガーノートはいったい何のために出てきたのか聞いてもいいか。こいつがリーダーと戦わないのも納得がいかん!(それは個人的趣味)ぼこぼこ超能力は出てくるけど、ただそれだけ。エンジェルも出てくる意味なさすぎて勿体ない。

映画はしかるべくロマンスがないといけないのかも知れない。しかも主人公に。だからこそ前作でもローガン→ジーンに対する思いは比重を置かれていたけれど…繰り返しになるけど[スコットが単なる当て馬邪魔キャラ]に貶められたのが納得いかないよ![ローグとボビーとキティ]の三角関係も、新たに投入する意味があったのかは謎。そんなことばっかりだ。
しかもこれ、女性に対して甚だ失礼だろうけど…ジーン様年取ったよね。何かもうフェニックスのときとか怖すぎるんですけど。ホラー漫画みたいなんですけど!あれでヒロインと言われましても…。正直ヒューもそろそろウルヴァリンはつらいんじゃないのか。スピンオフは大丈夫なのか?

ならば良かったところなんてないのか?と問われれば、そりゃある。ビジュアル的にキャラの持つ様々な能力が見られるのはやはり楽しいし、何よりさすがの演技力であるサー・イアンは素晴らしい。たとえ割り振られた役柄があまりに薄っぺらくなっていても、きちんと前作から続く悲哀、エリックが抱えてきているものを感じさせてくれる。だからこの映画で良かったところなんて、ほとんどサー・イアンだ。

・ジーンの実家でチャールズに叫ぶシーン
・[キュアを投与されたときの]あの一瞬の表情
・ラスト中のラスト
・レベッカ姉さんの美しすぎるヌード(サーじゃない)

女って怖いなぁ哀しいなぁ!と思ってしまうミスティーク。やっぱりヌードで過ごしてたんだよね…観客男子全員が釘付けになっただろうあのお体は美しすぎました。エリックに対する同士愛、人間愛、そしてやはり恋愛感情に似たものがそこにはあったのだろう。悲しいことに、エリックにあるのは同士愛のみだったのだけれど(だってサーだし…と思ってしまうのはもう仕方ない)。迫害され続けて戦う道を選んだ「マグニートー」であるエリックにとって、「能力が無ければ仲間ではない」わけだ。それが彼の鉄則であり、だからこそ「能力があり悲哀を分かち合える」チャールズは、敵対関係であってもある意味彼にとっては「仲間」であり続けたのだろう。

ローグの決断は、実は映画的にはありじゃないかと思ってる。でも、あのカップルが今後長続きするとは思えない…[触れ合うために能力を捨てた]ローグと[いまだミュータントであり続ける]ボビー。今までよりも、もっともっと隔たりが出来てしまうんじゃないのかな。[もともと人間とミュータント同士ってのとは全然違う]から、エリックの言う「能力が無ければ仲間ではない」というのは悲しいことに真実でもあるのだ。

とりあえずブレット・ラトナーにはもうキャラクター映画は撮って欲しくない。ほんと頼むよ。無難すぎて全然何も伝わってこないんだよ!
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
性別:
女性
バーコード
ブログ内検索
メールフォーム
カウンター
忍者ブログ [PR]