映画の徒然メモ。他サイトでのログを移植中
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デ・パルマ監督作品は久々。かなり期待していた分、やや物足りない感じがしてしまったのが残念。とはいえあの原作をよくここまでまとめたなァ。設定が大幅に変わったりもしてるけれども、"映画化"としては充分アリな作品。
デ・パルマ色は昔に比べて薄まった気はしつつ、これはやはりデ・パルマの映画だ。特にブラック・ダリアが見つかるシーンのカメラワークは。
原作は「ブラック・ダリア」という女がすべての始まりであり中心であり、束縛であり、呪いのように救いのように主人公たちにまとわりつくのだけれど、映画ではあくまでも人間がいて、そこに放り込まれたブラック・ダリアというイメージだった。ブラック・ダリアはそこではきっかけとひとつの事象であり、原作ほどの吸引力はあからさまに描かれていないようにも見える。それは原作者エルロイの、執着度によるものなのかもしれない。
あらすじ>>>
1940年代のロサンゼルス。ダウンタウンの空き地で、身体を真っ二つに切断された女の惨殺死体がみつかった。黒い炎を思わせる漆黒の髪、青白い肌を照らす黒ずくめのドレス。ハリウッド・スターを夢見ながら大都会の暗闇に葬られたその女を、人々は、ブラック・ダリアと呼んだ。やがて捜査線上に浮かび上がる一編のポルノ・フィルムの存在。ダリアと瓜二つの大富豪の娘、そして、彼女の一族にまつわるドス黒い秘密。ロサンゼルスの闇の中で妖しくうごめく事件の謎は、捜査にあたる若きふたりの刑事の運命をも狂わせていく…。
[オススメするタイプ]
・ジョシュ・ハートネット好き
・ワーォ!猟奇殺人なんて胸ときめくぜ!(見る分には)
・L.A.コンフィデンシャルの雰囲気が好き
[オススメできんタイプ]
・デートムービーじゃないのは確かだ
・ドロドロした人間関係なんてスクリーンでまで見たくない
・だから血とか切断とかは苦手なの!
デ・パルマ色は昔に比べて薄まった気はしつつ、これはやはりデ・パルマの映画だ。特にブラック・ダリアが見つかるシーンのカメラワークは。
原作は「ブラック・ダリア」という女がすべての始まりであり中心であり、束縛であり、呪いのように救いのように主人公たちにまとわりつくのだけれど、映画ではあくまでも人間がいて、そこに放り込まれたブラック・ダリアというイメージだった。ブラック・ダリアはそこではきっかけとひとつの事象であり、原作ほどの吸引力はあからさまに描かれていないようにも見える。それは原作者エルロイの、執着度によるものなのかもしれない。
あらすじ>>>
1940年代のロサンゼルス。ダウンタウンの空き地で、身体を真っ二つに切断された女の惨殺死体がみつかった。黒い炎を思わせる漆黒の髪、青白い肌を照らす黒ずくめのドレス。ハリウッド・スターを夢見ながら大都会の暗闇に葬られたその女を、人々は、ブラック・ダリアと呼んだ。やがて捜査線上に浮かび上がる一編のポルノ・フィルムの存在。ダリアと瓜二つの大富豪の娘、そして、彼女の一族にまつわるドス黒い秘密。ロサンゼルスの闇の中で妖しくうごめく事件の謎は、捜査にあたる若きふたりの刑事の運命をも狂わせていく…。
[オススメするタイプ]
・ジョシュ・ハートネット好き
・ワーォ!猟奇殺人なんて胸ときめくぜ!(見る分には)
・L.A.コンフィデンシャルの雰囲気が好き
[オススメできんタイプ]
・デートムービーじゃないのは確かだ
・ドロドロした人間関係なんてスクリーンでまで見たくない
・だから血とか切断とかは苦手なの!
ジョシュがおとなになりました。(のっけからそれか)
同行した友人は「男として下手だ」と言ってましたが(笑うところ)(というか笑ってやらないと気の毒すぎる)、何か久々にカッコいいジョシュ君を堪能出来る映画ですよ。だいたいがこの人、動いてるところを見ればカッコよかったりキュートだったりするのに、写真だとイマイチなんだよな…。今回は40年代ファッションも凛々しく、また元ボクサーの役なので身体もバッチリ。オープニングからエンディングまで、正しく魅せてくれます。
そして相棒のアーロン・エッカート。顎のラインがいつ見ても忘れられない役者だぜ…『エリン・ブロコビッチ』の時はヒゲだったからわかり難かったけどな。この人は何に出ても何をやらせても器用にこなしてしまうイメージが強い。演技にアクはあるのだけれども、それを上手いこと溶け込ませてしまう。今回も実に魅力あるキャラ、"ミスター・ファイア"をそつなく演じておられました。うん、本当に「そつなく」。上手いんだけど、いいんだけど、何か今一歩ジョシュの華(なのかな、やっぱり)に及ばず。演技は絶対に彼の方が上手いんだが。
上記の男二人に女二人が主要人物。その女に、スカーレット・ヨハンソンとヒラリー・スワンクということで見る前の疑問はただひとつ。
女の方が強いんじゃねぇのか?
ザッツライ!(サムズアップ)
アーロンと恋人役ながら、現実のカレシのジョシュと実に激しいラブシーンを演じておられたスカーレット嬢。本当に21なのか。既に27、8にしか見えん…実際にその年齢になった時、どうなってるか非常に楽しみです。既に10代の時から熟した色気の持ち主だったからな…。
そんな既に貫禄系のスカーレット嬢は、二人の男を意識的に手玉に取る悪女・子悪魔系に見えがちな(特に小説では書き込むことが出来ても映画では「見えるもの」だけが判断材料になるので)役柄。でもスカーレットじゃ仕方ない。こんな女が存在してたら仕方ないんだ。精神的三角関係になるに、これほどまでに相応しいキャスティングもないな、まったく。
でもってもう一人、ヒラリー・スワンク…ごめんなさい、レズ経験の設定が非常に説得力が。(本人がそうだと言ってるわけではありませんよ念のため)
どう見てもジョシュが食われてたラブシーン―――いや、あれは正しくセックスシーンと呼ぶべきだな。綺麗、はたまたいやらしいといった言葉はどれも相応しくない。肉体はそのためにあるのだ、という生々しさが役柄の説得力を増していた気がする。やはり上手い役者です。
彼女の母親を演じていた役者さんが何処かで見たことあるなーと気になっていたら、ハリポタのペチュニアおばさんでした。そういやその顔だ。いや、月並みだけどやっぱり役者ってすごいね。全然違うもの。
原作とは違うところも多々あれど、前述のように映画化としては正しいのだと思う。でも、スカーレットがあれだけ"佇まいの強さ"を体言している(役者的に今の彼女が"弱さ"を演じられるかどうかの問題でもある)のだから、原作のラスト[一度ドワイトから離れたケイ]をやっていただきたかった気もする。
一番運命が原作と変わったマデリンは、やはり映画ではああなって正解だと思いつつ―――うん、原作どおりをヒラリー・スワンクが演ったらどうなっていたかと考えずにはいられない。きっと、とてつもなく哀れでエゴ丸出しの、ぞっとするような美しさと醜さが同居していただろうなァ。
同行した友人は「男として下手だ」と言ってましたが(笑うところ)(というか笑ってやらないと気の毒すぎる)、何か久々にカッコいいジョシュ君を堪能出来る映画ですよ。だいたいがこの人、動いてるところを見ればカッコよかったりキュートだったりするのに、写真だとイマイチなんだよな…。今回は40年代ファッションも凛々しく、また元ボクサーの役なので身体もバッチリ。オープニングからエンディングまで、正しく魅せてくれます。
そして相棒のアーロン・エッカート。顎のラインがいつ見ても忘れられない役者だぜ…『エリン・ブロコビッチ』の時はヒゲだったからわかり難かったけどな。この人は何に出ても何をやらせても器用にこなしてしまうイメージが強い。演技にアクはあるのだけれども、それを上手いこと溶け込ませてしまう。今回も実に魅力あるキャラ、"ミスター・ファイア"をそつなく演じておられました。うん、本当に「そつなく」。上手いんだけど、いいんだけど、何か今一歩ジョシュの華(なのかな、やっぱり)に及ばず。演技は絶対に彼の方が上手いんだが。
上記の男二人に女二人が主要人物。その女に、スカーレット・ヨハンソンとヒラリー・スワンクということで見る前の疑問はただひとつ。
女の方が強いんじゃねぇのか?
ザッツライ!(サムズアップ)
アーロンと恋人役ながら、現実のカレシのジョシュと実に激しいラブシーンを演じておられたスカーレット嬢。本当に21なのか。既に27、8にしか見えん…実際にその年齢になった時、どうなってるか非常に楽しみです。既に10代の時から熟した色気の持ち主だったからな…。
そんな既に貫禄系のスカーレット嬢は、二人の男を意識的に手玉に取る悪女・子悪魔系に見えがちな(特に小説では書き込むことが出来ても映画では「見えるもの」だけが判断材料になるので)役柄。でもスカーレットじゃ仕方ない。こんな女が存在してたら仕方ないんだ。精神的三角関係になるに、これほどまでに相応しいキャスティングもないな、まったく。
でもってもう一人、ヒラリー・スワンク…ごめんなさい、レズ経験の設定が非常に説得力が。(本人がそうだと言ってるわけではありませんよ念のため)
どう見てもジョシュが食われてたラブシーン―――いや、あれは正しくセックスシーンと呼ぶべきだな。綺麗、はたまたいやらしいといった言葉はどれも相応しくない。肉体はそのためにあるのだ、という生々しさが役柄の説得力を増していた気がする。やはり上手い役者です。
彼女の母親を演じていた役者さんが何処かで見たことあるなーと気になっていたら、ハリポタのペチュニアおばさんでした。そういやその顔だ。いや、月並みだけどやっぱり役者ってすごいね。全然違うもの。
原作とは違うところも多々あれど、前述のように映画化としては正しいのだと思う。でも、スカーレットがあれだけ"佇まいの強さ"を体言している(役者的に今の彼女が"弱さ"を演じられるかどうかの問題でもある)のだから、原作のラスト[一度ドワイトから離れたケイ]をやっていただきたかった気もする。
一番運命が原作と変わったマデリンは、やはり映画ではああなって正解だと思いつつ―――うん、原作どおりをヒラリー・スワンクが演ったらどうなっていたかと考えずにはいられない。きっと、とてつもなく哀れでエゴ丸出しの、ぞっとするような美しさと醜さが同居していただろうなァ。
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