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映画の徒然メモ。他サイトでのログを移植中
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うっわーよりによってコレを映画化ですかあの集団××シーンどうすんの?と全米が震撼した(嘘)驚愕の映画。観てみればものっそい忠実にマジでおやりになっていた、××シーン…海外ってすげぇ。いや、正直ある意味日本の限界を痛感した。別に羨ましくなかったが
というわけで、これは誰が何と言おうとバカミスならぬ偉大なるバカ映画だと力説するよ。ダスティンとアランが出てるからって騙されちゃいけねぇよ!(でもこの人選はある意味正しい布石)

あらすじ>>>
18世紀、パリの魚市場で産み落とされたグルヌイユは驚異的な嗅覚を持っていた。青年に成長したある日、赤毛の少女が発する至福の香りに出会うが、夢中になるあまり彼女を殺してしまう。死と共に香りも消えてしまうことを知った彼は、香りを永遠にとどめておく方法を探るため調香師に弟子入りし、さらなる技を求めて職人の街グラースへ向かう。途中、自分自身に体臭がないことに気づき衝撃を受けるが、やがて運命の香りと再会する。

[オススメするタイプ]
・いろんな意味で内臓的なグロリアルさが平気
・笑顔から苦悩からアランたんハァハァ
・原作読了。あれをどーやって映像化すんのか気になるぜ!
・B級に目がないんです、おいら

[オススメできんタイプ]
・中世とは、貴族や貴婦人が笑いさざめく美しい時代に決まっている
・きっと悲劇的なシリアス映画に違いないわ
・官能的なお話に決まっているわ

まず、予告にもあるとおり「18世紀のパリはとっても臭かった!」の世界。そりゃそうだ、いろんなものがほぼ垂れ流し。ベルサイユ宮殿だってウ○コまみれで臭かったんだぞ!的な話もテレビでやっていたりするほど当たり前のことを、冒頭たっぷり魚市場のシーンで見せてくれる。これは文章でつらつらと「~であるからしてとても不衛生でうんたらかんたら~」と読むよりも、一発でわかる映像のインパクト。何もかもが渾然一体となったむわりと世界を包み込む臭い、それを実感してしまう。
将来的に映像に香りがついちゃうヨ☆てなことも普通でしょうが、この映画だけは嗅覚付で見たくないな。悪臭も究極の香りも、観客が想像する限界の無さの方がずっと凄まじいと思う。

原作は本国ドイツで15週ベストセラーリストの1位を走り、23ヶ国語(だっけ)に訳されたマンモスヒット作。作者がひたすら映画化を断り続け、映像化不可能と言われた…ってのも当たり前だよな。嗅覚を題材にした話を、どう視覚に訴えていくというのだ?という疑問を引っさげた話だから。
映画化成功は嗅覚への訴え、そして主人公のキャスティングにかかっていたと思う。そしてそれは成功している。もっとも矛盾してるようだけど、映画全体の成功とはまた別の話。

とにかく前世も来世も犬に違いない主人公、グルヌイユ。臭いで何でもわかってしまう、つまりは臭いでしか物事を捉えられないことが、彼のすべてを決定づけてゆく。
そのグルヌイユを演じるベン・ウィショーが、この役を演じるために生まれてきたかのようなハマリっぷり―――というのも生温い、自然すぎる怪演を見せる!とにかく目が凄い。眼差しひとつひとつ、眼球の動き、震えのすべてに計算された演技を勝手に感じてしまうほどグルヌイユしているのだ。原作を読んだときにビジュアルを想像したわけではないけれど、「ああこれだ」と思ってしまう。強烈に納得してしまう。監督が惚れ込んだのもリップサービスじゃないんだろうなぁ…しかしこの人この先他の役あるのかな?と、大きなお世話をどんどん考えてしまうほど、とにかくすごい。原作読了者は、彼を見るためだけにオススメ。
(しかしこの人『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』のキースだったんかやっぱりどっかエキセントリック)

正直グルヌイユのキャラクターで始まり、進み、終わる物語なので、いくら名役者が揃っていてもインパクトを増幅する役には立たない、と暴言を吐いてみる。そりゃ勿論合ってない役者や無名な人が演じても同じだよ!ってわけではなく、ダスティンやアランだからこそ安定した深みを見ている側に与えられるのだろうし。でも、この映画に関しては「この人にはこの役でなきゃ!」というのはグルヌイユにのみ当て決まる気がするのだ。たとえばの話、グルヌイユの香水師匠バルディーニを演じるダスティンと、グルヌイユと深く関わるリシを演じるアラン、これは入れ替わってもそんなに(客に与える印象は)変わらないような。でもグルヌイユはベン・ウィショーでしか有り得ない。これは役者の演技力というより、この話が最後まで「グルヌイユの物語」であるからなのだろうけど。

観客の嗅覚を呼び起こすことに成功、主人公も素晴らしい。ならばこの映画は傑作か?
残念ながら、その問いに手放しで「イエス!」と答えることは出来ない、んだな。個人的には。

だいたい原作が怪作なのだ。文章と映像の違い、すべて想像ではためき広がるものと、実際に最終着陸地点を見せつけられる形を得たもの。その違いはどちらが優れているということではなくて、怪作・傑作を映像化したこの作品は、あらゆる意味で素晴らしいB級作品になった。
それを一番表しているのが、原作読んだら誰もが「マジでやんの!?」と思っただろう、冒頭でも書いた集団××シーン。さぞエッチいんだろうなお兄さん期待でハァハァしちゃうよ!と思った人がいるとしたら(何だそれは)期待外れだっただろう。幻想的でもなく、官能的でもなく、ただ鰯の群れ並に[裸裸裸]。あれだあれ、集団ヌーディスト現る!みたいな海外ニュース見たときと同じ思い。人間裸であればエロいわけじゃないし、ましてや[ヤッてるからエロいわけでもない。]いや、今更ここだけ伏字にしても意味無いんだけど、万が一[集団セックス]というネタを知らない人がいたら見た時に衝撃を受けてほしいな、と思って…。まあほとんど言ってるも同じか。
文章だと「おおお!そこまで究極の香りと言うのは凄いのか!」と最初の震撼をしてしまうのに、映像で見ると何となく笑ってしまいそうになるのは何故だろう。どうやって撮影したか考えちゃうからか?そして[聖職者が行為時に妙に嬉しそうに見えました]懺悔!

究極の香りがもたらす次の、そして最後の震撼―――ラストシーン。これも残念ながら文章の勝ち。何もそのシーンをリアルに見せろとは言いませんが(違うジャンルの映画になるわな)、何となく拍子抜け。あれ、それで終わり?みたいな。行われてることは文章と変わらないのにね。

良くも悪くも主人公が見所。本当に彼は凄かったなぁ。
[もしかして自分は人殺しをする必要なんかなくて、ただ愛されたかっただけじゃないのか?]と気づいた顔がとても良かった。でも、彼の進む道は結局ひとつしかなかったのだけれど。
 

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