映画の徒然メモ。他サイトでのログを移植中
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『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』監督、キュアロン作品…と宣伝するのだけは止めておいた方がよかった作品。いや、これは今後のキュアロン作品すべてに言えることだろうけれども。見るべき人は避けるし、その逆も然りだ。
SF設定でもSF寄りではない話。もともとSFは、有り得ない設定で現実を描けるフィールドだから、そういう点ではこれはSF。しかし原作がSF文庫ではなくミステリカテゴリに入れられていることからも察せられるように、これは「もっと大きな何かが狂ってしまった現実の終わりと始まりの物語」なのだ。
あらすじ>>>
西暦2027年。ロンドンには移民が溢れ、当局は移民たちを厳しく取り締まっていた。街にはテロが横行し、全てが殺伐としていた。18年間、人類には子どもが誕生しておらず、人々は未来のない世界を生きていた。ある日、エネルギー省官僚のセオは、元妻・ジュリアンが率いる地下組織FISHに拉致される。彼らはセオを利用し、人類救済組織“ヒューマン・プロジェクト”に、人類の未来を担う一人の少女を届けようとしていたのだ…。
とか原作と共通しているように言ってしまったが、原作「人類の子供たち」とはまったくベツモノ。監督も原作は読んでいない。ただ大きな枠組みとして、両者ともSFではないな、という印象だ。
[オススメするタイプ]
・比喩とか隠喩とかを読み解くのが好き
[オススメできんタイプ]
・あ、ハリポタの監督だ!
・この原作好きなんだよね
・ジュリアン・ムーア目当て
SF設定でもSF寄りではない話。もともとSFは、有り得ない設定で現実を描けるフィールドだから、そういう点ではこれはSF。しかし原作がSF文庫ではなくミステリカテゴリに入れられていることからも察せられるように、これは「もっと大きな何かが狂ってしまった現実の終わりと始まりの物語」なのだ。
あらすじ>>>
西暦2027年。ロンドンには移民が溢れ、当局は移民たちを厳しく取り締まっていた。街にはテロが横行し、全てが殺伐としていた。18年間、人類には子どもが誕生しておらず、人々は未来のない世界を生きていた。ある日、エネルギー省官僚のセオは、元妻・ジュリアンが率いる地下組織FISHに拉致される。彼らはセオを利用し、人類救済組織“ヒューマン・プロジェクト”に、人類の未来を担う一人の少女を届けようとしていたのだ…。
とか原作と共通しているように言ってしまったが、原作「人類の子供たち」とはまったくベツモノ。監督も原作は読んでいない。ただ大きな枠組みとして、両者ともSFではないな、という印象だ。
[オススメするタイプ]
・比喩とか隠喩とかを読み解くのが好き
[オススメできんタイプ]
・あ、ハリポタの監督だ!
・この原作好きなんだよね
・ジュリアン・ムーア目当て
原作との違いは言ってみても仕方ない。監督が言っているように、「作ろうとしている映画と(原作は)まったく違うものだと聞いて読むのをやめた」くらいなのだから。原作―――というよりベースとなった小説―――好きな人には、これは侮辱かもしれない。でも、良い悪いの問題じゃなく、「子供が生まれなくなった未来」というテーマを土台にして生まれた、まったく別の次元のモノなのだ。何しろ小説では[キーが出てこないでジュリアンが子供を生むし、何よりジュリアンはセオの妻ではない]のだ!
小説タイトル「人類の子供たち」が、いかにもノベライズでございというようにタイトルが変えられてしまったのは残念だが、そのタイトル(The Children of Men )が指し示すように、映画も聖書世界の比喩なのだろうなァ…というのが(きっと)てんこもり。もっと聖書に対して造詣が深ければ、散りばめられた意味も理解できただろうと思うともったいない。
キーの「私は処女よ」という発言は誰にでもわかるだろうが、ジュリアンがリーダーを務める反政府組織「魚(フィッシュ)」も実に聖書的。西洋宗教の名残が残滓じみてあちこちに散らばり、人々の生活に不自然な自然さでまぶされているのが東洋宗教。ミリアムが太極拳を嗜み、十字架を形づくり、マイケル・ケイン演じるジャスパーは禅がどうのこうの言い出す。「西洋の神が居なくなった世界」の演出かな、と浅はかに思っていたら、中盤からはどっぷり西洋的なメシア誕生。ううむ、やっぱり浅学な身にはよくわからん。あ、もうひとつ思ったのは、セオがずっと裸足だったことだ。これはイエスの最期を模しているのではないかなぁ。
だいたいがすべてジャスパーの麻薬よりも曖昧だ。組織は実にお粗末な動きしかしないし、セオの従兄弟である「イングランド国守」の存在も、単なるお偉いさんレベルに低められてしまった。セオの行動の要因は、[妻を失ったことに対する贖罪]でしかない。…あれ、批判ばっかりになってしまったぞ。そういうつもりはないし、「こんな難解な映画が解るオレ、カコイー!」的なつもりもまったくないのだが…この映画の魅力はそういう、言ってしまえば世界を取り巻く何とも形のないもやもやとしたもの、にあるような気がする。それは子供が生まれないという、現実ではない設定の下に生まれるものだけれども、現実とイコールなものでもあるのだ。
そんな雰囲気の中で、リアル極まりないのはラスト近くの戦闘シーン。誰もが言うことだろうけど、あれは本当にすごい。カメラがワンカットの長回しなのだ!素晴らしいの一言。そして戦闘の中に響く赤ん坊の声。ミスマッチな美と、どうしようもないグロテスクさ。
ところでヒューマン・プロジェクトは最後まで人間世界の外、リアルではまったくない謎めいた抽象的な「明日」という描かれ方だったけど、ぶっちゃけあのプロジェクトが天国とは限らない。そこにはまた、違った形のいびつな現実があるだけではなかろうか。それを思わずにいられたセオは、あれ故に静寂と安らぎを得られたのかももしれない。
でもってケイン様がロン毛なので途中までわからなかったオレを許してくれ。
小説タイトル「人類の子供たち」が、いかにもノベライズでございというようにタイトルが変えられてしまったのは残念だが、そのタイトル(The Children of Men )が指し示すように、映画も聖書世界の比喩なのだろうなァ…というのが(きっと)てんこもり。もっと聖書に対して造詣が深ければ、散りばめられた意味も理解できただろうと思うともったいない。
キーの「私は処女よ」という発言は誰にでもわかるだろうが、ジュリアンがリーダーを務める反政府組織「魚(フィッシュ)」も実に聖書的。西洋宗教の名残が残滓じみてあちこちに散らばり、人々の生活に不自然な自然さでまぶされているのが東洋宗教。ミリアムが太極拳を嗜み、十字架を形づくり、マイケル・ケイン演じるジャスパーは禅がどうのこうの言い出す。「西洋の神が居なくなった世界」の演出かな、と浅はかに思っていたら、中盤からはどっぷり西洋的なメシア誕生。ううむ、やっぱり浅学な身にはよくわからん。あ、もうひとつ思ったのは、セオがずっと裸足だったことだ。これはイエスの最期を模しているのではないかなぁ。
だいたいがすべてジャスパーの麻薬よりも曖昧だ。組織は実にお粗末な動きしかしないし、セオの従兄弟である「イングランド国守」の存在も、単なるお偉いさんレベルに低められてしまった。セオの行動の要因は、[妻を失ったことに対する贖罪]でしかない。…あれ、批判ばっかりになってしまったぞ。そういうつもりはないし、「こんな難解な映画が解るオレ、カコイー!」的なつもりもまったくないのだが…この映画の魅力はそういう、言ってしまえば世界を取り巻く何とも形のないもやもやとしたもの、にあるような気がする。それは子供が生まれないという、現実ではない設定の下に生まれるものだけれども、現実とイコールなものでもあるのだ。
そんな雰囲気の中で、リアル極まりないのはラスト近くの戦闘シーン。誰もが言うことだろうけど、あれは本当にすごい。カメラがワンカットの長回しなのだ!素晴らしいの一言。そして戦闘の中に響く赤ん坊の声。ミスマッチな美と、どうしようもないグロテスクさ。
ところでヒューマン・プロジェクトは最後まで人間世界の外、リアルではまったくない謎めいた抽象的な「明日」という描かれ方だったけど、ぶっちゃけあのプロジェクトが天国とは限らない。そこにはまた、違った形のいびつな現実があるだけではなかろうか。それを思わずにいられたセオは、あれ故に静寂と安らぎを得られたのかももしれない。
でもってケイン様がロン毛なので途中までわからなかったオレを許してくれ。
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